こんにちは!不安を力に変えるNo1コーチになる、TCS認定コーチのましもです。
先日、TCS認定コーチの中で男性だけが集まったコミュニティで勉強会がありました。
テーマは「思考の断捨離」
モノの断捨離とどう違うのか?どんな関係があるのか?断捨離ができない男としては非常に参考になる時間でした。
捨てるから、スペースができ、必要なものが入ってくる
断捨離の大前提の考え方だと思います。そもそも断捨離とは
「断捨離」のそれぞれの文字には、ヨーガの行法(ぎょうほう)である断行(だんぎょう)・捨行(しゃぎょう)・離行(りぎょう)に対応し、
- 断:新たに手に入りそうな不要なものを断る
- 捨:家にずっとある不要な物を捨てる。
- 離:物への執着から離れる。
という意味がある。
すなわち「断捨離」とは、不要な物を「断ち」「捨て」、物への執着から「離れる」ことにより、「もったいない」という固定観念に凝り固まってしまった心を開放し、身軽で快適な生活と人生を手に入れようとする思想である。ヨーガの行法が元になっているため、単なる片付けとは異なるものとされている。
ウィキペディア:断捨離より抜粋
この情報もシェアしてもらい、初めてヨガの思想からきているんだと知りました。(ダンシャリアンは聞いたことないけどね…)
今回は【思考】の断捨離なので、不要な思考はどんな影響があるのか?を考えました。
疲れたときに「自分を責めてしまう思考」や、忙しくなると「コミュニケーションが雑になる」など、参加者のいろいろな捨てきれない思考を話しながら、思考は物にも影響しているのでは?と、新しい問いが生まれました。
僕が捨てられないものの1つに、写真やメッセージカードがあります。いわゆる『思い出』です。
そこに写っている人、書いてくれた人のことや当時の思い出を懐かしむことが出来ます。
「あの頃は苦しかったな」「あの時すごく楽しかったな」「あいつ元気にしてるかな」
そんなことを考えていたら、1人のコーチが、
「捨てたら思い出せない思い出なんて所詮その程度のこと」と。
これにはドキッとしたのと心の奥でキュッとしました。たしかにと思う反面、それを認めてしまうと何かが壊れるような感覚というのでしょうか。
他のコーチの話も聞きながら、ふと、こんなことが浮かんできました。
思い出が込められた物を持っているということは、同じような思いを新たに得られていないのではないか。
捨てられない写真の1つに、自衛隊にいたときの同期や先輩たちとのオフの時の写真があります。
辛い訓練や業務の時もありますが、それが終わってからの仲間との時間は、今でも楽しかったと思い出します。
仲間意識が異様に高かった場所でもあるのですが、ここにハッとさせられるシェアをされたコーチがいました。
「たしかに思い出は大切だけど、それって思考が過去に向かってるとも言えるのでは」と。
さきほど浮かんできた言葉が白黒だったとしたら、たくさんの色がついてきたイメージです。
僕の思考には、あの頃の「団結」「絆」などから「過酷」「理不尽」など、
ポジティブなことからネガティブなことまで、
多くの感情が込められていることと、
20年以上前のたった2年間の思い出が、かなりの部分を占めていることに気づきました。
あの時の「団結」「絆」というものは、たしかに強く大きくもあります。
この20年間でも仕事やフットサルなどで団結や絆、そこからくる信頼を感じることはありましたが、
もしかしたら、あの2年間を超えるものはないのではと、無意識に考えていたのかもしれません。
『それを捨てられないんだもの、それを超える体験は入ってこないよな』
妙に納得した自分がいて、それに少し驚きました。
2021年の大掃除では、新しい体験を手に入れるために、
大切な思い出でもある写真やメッセージカードを断捨離します。
同じように考えれば、服・本など多くの物から離れることができそうです。
今までより最幸な思い出を手に入れるために、
思考にも部屋にもキレイなスペースを作ります。
お読みいただいた方もご一緒にいかがですか?
最後にファシリテーターを務めてくれたコーチから、
「捨てなきゃと思っているのに捨手られない物は、アイデンティティに関わっている」
思い出の品は過去に向かう思考となり、新しい体験や出会いは未来に向かう思考になる
もし、お読みいただいている方に【思考の断捨離】をしてみたい人がいましたら、
気軽に気楽にゆるっとおしゃべり「ちょっと聞いてよ、マッシーモ!」をご利用ください。