コーチングを武器に、教育業界に風穴を空ける! 「人間なら、まず人間を学べ!」というテーマで教師に転職したババター先生の授業からの学びをシェア&アウトプットしていきます。
今回は18限目:「ひとりが寂しくなくなる至極の3分」です。
ひとりと孤独の違いや、仲間外れによるいじめまで、深く考えさせられる授業でした。
仲間外れといじめの違いは何だろうと思い調べると、こちらの記事が参考になりました。
ソクラテスのたまご / https://soctama.jp/column/67576
いじめと言われる行為の1つに仲間外れがあると知りました。記事の中に何度も書かれていましたが、仲間外れを受けた側が「つらい」「嫌だ」「苦しい」など、精神的苦痛を感じたら『いじめ』と認定されると。
「いじめられている」と言わなくても苦痛を訴えたら「いじめの危険性がある」と受け取らなければならない。どんなに遊び・悪ふざけ・ゲーム感覚だとしても、すべては受け取った相手次第。まさに、伝わったことが伝えたことになります。
もしババター先生がいるC組がなかったら、サララはどうなったんだろう。ありきたりな想像力でなら、不登校になり外で別のグループに入り、エスカレートして非行に走る。(昭和っぽい、、、)
もしくは、高級車に乗った有名でお金を持ちな彼氏を作り、そんな人と付き合えている自分を褒めて美化して、精神的な孤独を感じていたかもしれません。(美人だからできることか?)
『仲間外れあったときは最大のチャンスだ』
ババター先生のこの言葉を、仲間外れにあっていたときの自分が言われたどうだったろうか。
言葉だけなら近いようなことを言われていたのかもしれません。ただ、なにも変わりませんでした。ババター先生は2つのポイントとともに、大切な考え方を教えてくれているので、変えることが出来たかもしれないと思います。
僕は学生時代、2つのポイントの真逆をやっていました。仲間外れにあうのは自分が悪いと思っていたし、相手に合わせるように(ムリ)して仲間に入り直そうともしました。結果、仲間に入れても孤独を感じ続けていたんだなと。
1つサッカーに関してだけは、違うことができました。ひとりでも練習を続けて成長しようとしたことです。ただ、笑顔ではなかったですね。自分は下手くそだ、こんなにやっているのになんで上手くならないんだ、差が縮まらないんだと、自分を責めたりネガティブな感情で練習してました。
それでもあの時ひとりでもボールを蹴っていたから、今、フットサルを楽しめているんだろうなと感じています。
最後に孤独とひとりについて。
孤独って、誰とも繋がっていないと感じたときに訪れる。
ひとりって、大切な誰かを想うことが出来る時間。自分と対話の時間。
もし孤独を感じて、さらに自分になんで?どうして?となってしまうようなら、コーチとして一緒に時間を過ごしてくれる人がいることを、頭の片隅に置いといてもらえると嬉しいです。