3年C組ババター先生に学ぶ「誰でも3分で自信が持てるようになる 奇跡の授業」13限目

3年C組ババター先生
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コーチングを武器に、教育業界に風穴を空ける! 「人間なら、まず人間を学べ!」というテーマで教師に転職したババター先生の授業からの学びをシェア&アウトプットしていきます。

今回は13限目:「誰でも3分で 自信が持てるようになる 奇跡の授業」です。

なんで人は、他人と比較して凹むという意味のないことをするんでしょうね。

 

人は、見たくないものを見てしまう生き物。
脱ぎたての靴下の臭い嗅いじゃうとか、押しちゃダメ言われたのに押しちゃうみたいな。

さて本題について考えてみます。

【ダメな自分】と【ダサい自分】

同じようなものと考えていたことに気づきました。【ダメな自分】は他人と比較してできていない状態に凹む自分。【ダサい自分】は失敗しないように避けている自分。と考えてみます。

 

ダメな自分は誰にでもあるし、それを他人が肯定も否定もする意味がないと思いました。「ダメな人」って言われたくない人がいる一方、言われても影響を受けない人もいます。

ダサい自分は見られたくないし、見たくないと思うことがあります。また、誰からも言われたくない言葉でもあります。

 

まったく違う言葉なのに同じように捉えていた理由はどこにあるのか。

どちらも言われたときにショックを受けたり怒りを覚えたことがあるからかなと想像しました。それに、言われたくない人(自分より下に見ている人ではない)に言われるときほどショックを受けます。好意を持っている女性に言われるのが一番キツイですね。。。

「ダサい」ってどんなときに言われるのか考えました。授業とのリンクにハッとしました。僕が言われるときは『中途半端なことをしているとき』が圧倒的に多く、自分でも気付かないようにしていた時ほど言われます。まさに強烈なフィードバックです。

「ダサい」って言ってくれる人は、その人の価値観で言うことがほとんどですが、自分にとって意識や視点が変わるようなタイミングで言ってくれる人からは愛や優しを感じることができます。たまに闇雲に使っている人いますけどね、まだ。

 

全力で何かに取り組むことができるって、本当は幸せなことなんだなと感じられるようになりました。その結果、望んだ未来が手に入っても、周りから「そんなもんか」って言われても、必ず次に活きるので。どんな結末が待っていようとも、全力で挑戦を続けます。

 

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